※2016年8月、関連リンクに「音頭と平和(2)」を追加。
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先日、飲食店で新聞を読んだとき、コラムに目がとまりました。
情報統制に関するその冒頭には、かつて広島であったとされる音頭について記述があり。
音頭の内容は、原爆が平和をもたらしたことを讃えるものとして、解釈できるものでした。
被爆地でそんな音頭があったとは、事実なのだろうか。
気になって調べてみて、いろいろわかったことがあるので、ここにまとめます。

はじめに、目にとまった記事。

中日新聞中日春秋コラム(CHUNICHI Web)
2013年8月6日

 ピカッと光った原子のたまにヨイヤサー、飛んで上って平和の鳩よ…。一九四七年八月六日、つまり人類初の原子爆弾投下から丸二年たった日、広島市中心部では「平和音頭」にあわせて人々が通りを練り歩いたそうだ

▼戦争体験がどう語られてきたかを検証した『焦土の記憶』(福間良明著、新曜社)によると、四六年八月六日の地元紙一面には「けふぞ巡り来ぬ平和の閃光(せんこう)」「広島市の爆撃こそ原子時代の誕生日」との見出しが掲げられた

▼八月六日がまるで「祝祭」のような色を帯びていた背景には、連合国軍総司令部(GHQ)の情報統制がある。人々と街を焼き尽くした原爆は、戦争を早期終結させた「平和の閃光」とされたのだ

▼広島に原爆が投下された三日後に現地入りした弊社の先輩記者に、話を聞いたことがある。原爆ドームの写真は一応撮ったが、目に入る被爆者にはレンズを向けもしなかったという

▼「どうせ検閲で載せられない。そんなものを撮るため貴重なフィルムを無駄には使えない」。戦時中の情報統制下にあった記者には、そういう自己規制の心理が働いていたのだ

▼権力者が情報を統制し、報道に関わる者が力に巻き取られれば、どんな大惨劇でも真相は隠されて、あたかもそれが「祝うべきこと」のようにすら伝えられる。八月六日は、そんなことを、改めて考えさせる日でもある。

この記事に行き着くまで、ちょっと苦労しました。
うろ覚えのキーワード「中日新聞 ぴかっと光る」などで検索しても、なかなか行き着かず。
思考錯誤でキーワードを絞り込み、「平和音頭 原子のたま」で、ようやくヒット。
同じ内容のコラムは東京新聞(※)に載ったらしく、ツイッターや掲示板などでは、そちらのほうが話題になったようでした。
※東京新聞は中日新聞の東京支社。同じ内容が載って不思議はないのでした。

次に、「平和音頭」の歌詞について検索したところ、似たフレーズの「平和おどり」がヒット。
昭和22年頃、新憲法を祝う歌や踊りがつくられ、円山音楽堂などに人々が集まって歌い踊った。その歌の歌詞...  レファレンス協同データベース

このページによると、該当するのは「憲法音頭」であり、「平和おどり」は別物だそう。
昭和22年頃とは、コラムにある「「平和音頭」にあわせて人々が通りを練り歩いた」と同じ時代です。
共通点が見られるかもしれないと思い、「憲法音頭」について検索、動画と歌詞を見つけました。
憲法音頭 - Miracle Earth

歌詞は以下、記録として記載。

憲法音頭
憲法普及会制定/サトウハチロー 作詞/中山晋平 作曲/藤間流家元、藤間勘十郎、花柳流
 

一、おどりおどろか チョンホイナ あの子にこの子 月もまんまる 笑い顔 いきな姿や 自慢の手ぶり 誰にえんりょが いるものか ソレ チョンホイナ ハ チョンホイナ うれしじゃないか ないか チョンホイナ
二、古いすげ笠 チョンホイナ さらりとすてて 平和日本の 花の笠 とんできたきた うぐいすひばり 鳴けば希望の 虹がでる ソレ チョンホイナ ハ チョンホイナ うれしじゃないか ないか チョンホイナ
三、青葉若葉に チョンホイナ 都に村に 小風そよ風 この胸に 好いた同志が ささやく若さ 広い自由の 晴れた空 ソレ チョンホイナ ハ チョンホイナ うれしじゃないか ないか チョンホイナ
四、そんじょそこらに チョンホイナ ちょっとないものは 春の桜に 秋の菊 雪の富士山 海辺の松に 光かがやく 新日本 ソレ チョンホイナ ハ チョンホイナ うれしじゃないか ないか チョンホイナ

幸せな情景を描いたこの内容に対して、タイトルはイデオロギー性が強い「憲法音頭」。
近年、作詞者・中山晋平の郷里における普及活動は、前述の動画で見られますが、目下ウェブで探したところ盛んでない様子。
平和賛歌としてとても良い音頭なのに、なぜいまだ知名度が低いのか?

ここで、音頭の誕生と消滅について検索、下記のページに行き着きました。
「憲法音頭」の誕生と消滅

筆者の和田登さんによると、普及会の構成は「マッカーサーを頭にした占領軍の後ろ盾によってできた政府色の濃い顔ぶれ」であり、「米国にとって、憲法9条が足を引っ張る存在になってきたのである。それを受けてか、普及会そのものも、1年間で解散する運命に」。

知名度が低いままの背景には、そもそもの成り立ちにあるのでしょうか。
ここで、「平和おどり」について詳しく見ることに。
前述の検索ヒットページによれば、誕生は京都新聞社の懸賞募集によるとか。
歌詞については、普及する市民活動のページに見つけました。
平和おどり普及会 京都で復活戦後の混乱期に庶民が踊った平和を願う「平和おどり」

以下、記録として記載。
平和おどり
作詞 桂二郎/作曲 江口夜詩/振附 棋茂都陸平

ハアー
空にゃ白鳩(しろばと) 街には笑顔 民主日本はどこから明ける 平和おどりの手ぶりから 手ぶりから ハ 踊った 踊った ヨイショコショ シャンシャン シャラリコ シャンと踊れ
ハアー
あの娘よい娘だ 新憲法の 祝いかんざし島田にさして 平等おどりの先に立つ 先に立つ ハ 踊った 踊った ヨイショコショ シャンシャン シャラリコ シャンと踊れ
ハアー
一人ひとりが 新生日本 担う民主の燃え立つ行で 晴の首途(かどで)をひとおどり ハ 踊った 踊った ヨイショコショ シャンシャン シャラリコ シャンと踊れ
ハアー
みんな笑顔で仲よく暮らし この世天国 世界は同胞(きょうだい) そろう音頭のうららかさ たのもしさ ハ 踊った 踊った ヨイショコショ シャンシャン シャラリコ シャンと踊れ
ハアー
平和音頭(おどり)にゃ囃子(ぞうし)はいらぬ 匂う木の香が 揚がる木遣が めでためでたと音頭とる 音頭とる ハ 踊った 踊った ヨイショコショ シャンシャン シャラリコ シャンと踊れ
「平和おどり」について検索すると、近年の普及活動も盛んな様子。
成り立ちがいわゆる官民で異なるとはいえ、なぜイデオロギー色が濃厚な「平和おどり」が支持されるのか?

ここで、調べはじめたきっかけの「平和音頭」について、あらためて検索。
原爆文学研究会のページに行き着き、「平和音頭」に関する当時の様子といきさつを知ることができました。

PDF:特集〈広島/ヒロシマ〉をめぐる文化運動再考<<コメント>>〈広島/ヒロシマ〉と音楽 小田智敏

(略)文化運動のなかで音楽がもちうる可能性、とくに危険性を考察する(略)

広島市の実際のありようと原爆体験との乖離分裂は、実は今に始まったことではありません。早くも、一九四七年八月六日に開催された第一回平和祭では、市内を花電車が走り、「ピカっとひかった原子の玉にヨイヤサーとんであがった平和のハトよ」という歌詞の音頭が歌い踊られ、人々の怒りを買っています(7)。この平和祭は、市と商工会議所で結成された協会の主催で、その開催意図は「八月六日を単に悲惨なる思い出の日とすることなく、この日こそ世界平和が蘇ったということを永久にメモライズする」と語られています(8)。米軍占領下とはいえ、「この日こそ世界平和が蘇った」とするのは原爆被害者の実感とは著しく乖離していたことでしょう。

一九四七年の音頭も二〇〇九年の音頭も、ともに死者や原爆被害者を置き去りにして、より上位のマジョリティーに取り入ろうとする姿勢を示しています。その姿勢がマイノリティーの耳を打つとき、音楽は暴力として作用すると考えられます。私たちが音楽を媒体とする文化運動を見るとき、またその今後のあり方を構想するとき、音楽がこのような暴力として働く危険性を忘れてはなりません。(略)

7 中沢啓治『はだしのゲン』には、この音頭を歌い踊る仮装行列に対して殴りかかる労働者たちの姿が描かれています(中公文庫コミック版第3巻、一九九八年、二六六頁以下)。研究会当日は、この音頭を「広島復興音頭」と紹介しましたが、「広島復興音頭」には一九四六年制作と一九四九年制作との二通りの資料があるため、ここでは題名未詳としておきます。

8 中国新聞社『年表ヒロシマ~核時代50年の記録~』、一九九五年、四三頁。

論中「二〇〇九年の音頭」とは、「オバマジョリティー音頭」のこと。
成り立ちと歌詞については、論中で言及されているので、ここでは動画を紹介。

当時のニュースも見つけました。

中國新聞 原爆・平和特集>2009ヒロシマ 関連ニュース
音頭で「Yes we can」 オバマジョリティー機運盛り上げ '09/8/11

▽広島県郷土民謡・踊協会が披露

広島県郷土民謡・踊協会(宍戸俊三理事長)が「オバマジョリティー音頭」を考案し、10日、広島市役所で披露した。核兵器廃絶を目指す市が提唱している「オバマジョリティー・キャンペーン」のPRに役立てる。

「核なき 平和をネ 全力つくして 世界のために」「Yes we can」―。恒久平和を願う歌詞を約5分間の明るい曲に乗せる。この日は協会のメンバーが輪になり、手招きしたり、力強く拳で胸を打ったりする振り付けで踊った。

市のキャンペーンに賛同し、6月初旬から約2カ月で完成させた。宍戸理事長は「学校や地域の行事で活用してもらいたい。オバマ米大統領にも見てほしい」と意気込む。CD発売も検討する。

秋葉忠利市長も試作の曲を聴き、気に入っていたという。市文化スポーツ部は「積極的に活用し、市民がキャンペーンに加わるきっかけにしたい」と歓迎している。(赤江裕紀)

ここで、冒頭の目にとまった記事を再読。
かつて被爆地で、原爆を用いた平和賛歌が踊られたことは事実のようです。
ただ、実態は記事から受ける印象とは、まったく異なります。

実態は情報を発信する側が主、受ける側が従という視点から、まったく外れていた。
言論統制や情報操作により、全ての人がただ受け入れたわけでは、まったくなかった。
情報の危険性は、かつてもいまも、実態に乖離してマジョリティーに取り入ろうとする姿勢にある。

下記、前述の論から引用。
まだ実現していないものを求める祈りが歌われることによって、それが実現したという錯覚を与えるのではないか、すなわち、音楽が今ある世界の矛盾を隠蔽するイデオロギーとなるのではないか、という危惧
「音楽」を「情報」に置き換えれば。
発信する側・される側に関わらず、今生きる人は、この危惧を持ち続けなくてはいけません。
平和を実現するために。

平和の実現は、人にとって永続的な権利と義務。
錯覚を退け、矛盾と向き合うことが、平和の実現につながると思います。

【関連リンク】
音頭と平和(2)
京都太秦美空ひばり座を見て、思ったこと。